「これをカナダで使いなさい」
某日、実家での食卓。母はちょとした雑誌と同じぐらい分厚い封筒をぼくに手渡した。
東京からカナダウィスラーへの旅立ち。
初めての一人での国際線の飛行機
初めての海外生活。
初めてのシェアハウス生活
そして、初めての海外スノーボード
何もかもが初めてだらけの体験にぼくは心を躍らせていた。
そんな旅立ちの時、母は僕の生活資金などについて心配をしてくれていた。
2009年4月〜2013年6月までの4年間、富士通でエンジニアをやっていた。
最初の2年は実家の足立区暮らし。
その後の2年は、世田谷区で一人暮らし。ではなく、実は2年間の同棲期間があった。
そして、2013年4月に母の誕生日が来た。母への誕生日プレゼントがてら、ぼくは上野の懐石料理屋で食事をすることにした。
その時に母へ自分の今の心境を伝えた。
「若い感受性豊かなうちに色々な経験をしたい」
「海外にでてみたい」
「会社が予想以上の経営悪化をしている」
「いつか行こうと思っていた、ウィスラーへ行こうと思う」
母はそんな僕の心境を特に否定も、肯定もせずにただただ、聞いていた。
そして、一通り話し終えると
「貴方の人生なのだから、貴方のやりたいようにやればいい。」
と、一言。
今思うと、4年生大学に行き、大手の富士通に入社できたが、それなりのお金と安泰な生活を手放すのを母はどのように思ったのだろうか。
そして、2013年9月の旅立ちが近づいた時、
「これをカナダで使いなさい」
っと、分厚い札束を渡された。およそ150万円ぐらいあっただろうか。
母やぼくのお金の事を心配してくれた。こんなにお金をもらったのは生まれた初めてである。だけど、僕には前の記事にも書いたとおり、退職金の約200万円を自身の海外生活に投資しようとしていた。
もちろん、そのお金を受け取るのを断ったのだけれども、不思議なことが一点。
「札が妙に古いな。」
「普通こういう時は、新札じゃないのか?」
「新札を用意できなかったのかな?」
そして、お金を返すと時、尋ねた。
「お母さん、この札古いよ、普通こういう時はピン札を用意するもんじゃないの?」
100万円以上の大金の真実
「貴方が働いてから、実家に入れていたお金よ」
「???」
何をいっているのか、最初はよくわからなかった。
確かに、僕は実家に月々3−5万円、ボーナスの6月と12月はその額の3倍を家に入れていた。まぁ、多くの実家暮らしの人はいくらかは、そうしているだろう。
ぼくは母が、食費やらなにやらでてっきりそのお金は使ったと思っていた。
「妙にするきれたお金」
「タンスで眠っていたお金」
「僕が一生懸命働いて、稼いだお金」
そんなお金を母や1円も使わずに、蓄えていたのだ。
1円も使わずにだ。何のために?
もちろん、ぼくのためだ。
ぼくは泣きそうになった。
こんなことを母がしてくれているとは思わなかったから。
60近い年齢だから余生を静かに過ごしてくれれば、それで十分なのに。
旅立ちの時
母に最寄りの駅まで送ってもらった。
「次に会うのは1年後になると思う。」
なんだか、妙に寂しかったけど、これで良かったのだ。
母のおかげで今の自分があると、改めて感じる今日この頃。
そんな母は21日にウィスラー遊びにくる。
今は、ロッキーやケローナなどをツアーで旅行中。
母への一言
母よ、いつかぼくはその大金以上の大きなものを返せるように頑張るよ。
根拠や自信はないのだけれども。
笑って楽しく過ごせるのは、貴方のおかげです。
いつか、また、大好きな祖母と旅行に行きましょう。
あなたの、大好きなカニもたくさん食べたいですね。
少しでも、長生きしてまだ見ぬ孫を見せたいと思う。
これから先、ぼくにはどんな人生が待っているか楽しみだよ。
いつもありがとう。
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